「赤い鳥」から100年目

2018/04/25 午前北村先生 午後自主練

5月12日の竹取コンサートに向けて
プログラムに添いながらの指導でした。
曲数も多く、歳とともに、暗譜が難しくなり苦戦です。
残りの時間努力、努力です。
曲目の中の作曲家「成田為三」についてひらってみました。

明治26年12月15日 秋田県生まれ
上野音楽学校に入学、作曲を学ぶ。「浜辺のうた」は在学中の作品。
卒業後「赤い鳥」の主要メンバーとの交流が始まり「かなりや」「赤い鳥小鳥」など作品を残す。その後ドイツに留学。帰国後は国立音楽学校や東洋音楽学校で教鞭をとった。
歌曲.童謡の作曲家としての印象が強いが、管弦楽曲やピアノ曲の作品も多数。
昭和20年10月29日没

「赤い鳥」童謡運動について
鈴木三重吉、北原白秋、西条八十らにより大正7年に創刊された子供向け雑誌「赤い鳥」に当時の一流の詩人達が次々と作品を発表し、始めに成田為三が、後に山田耕作、本居長世など当時最高の作曲家達がこれらの詩に曲をつけ、それまでの童謡にはなかった新しい芸術性をもたらした。
2018.07.01は児童文芸誌「赤い鳥」の刊行から丁度100年目にあたる。
「赤い鳥」の童謡運動は19年間も続いた。
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